Andy プロフィール

このブログの運営をしている名古屋在住の34歳独身ANDYです。MOTO-ACE-BLOGとして2017年5月からスタートしました。
このブログの目的は「高品質な二輪情報を発信しライダーのバイクライフを充実させる事」です。

バイク歴は18年になりました。びっくりドンキー、握りの徳兵衛、CoCo壱番屋、寿がきや、などに精通する自称食通ですw。ロードレースは21歳でデビューし今年で13年目になりました。2017年8耐は29位で完走!ご声援ありがとうございました。カメラはCanon6D、愛機はZRX1200R(A8)、CBR1000RR(SC59後期)です。今では貴重なGoPro1も持っています。 海外ツーリングも好きでアメリカツーリングへ3度、渡米し2014年にはアメリカ大陸横断ツーリングも成功しました☆ バイクが好きな気持ちだけは世界一です。*自分調べ

二輪開発歴

 
2003年
  本田技術研究所2輪開発センター入社
  完成車走行試験グループで量産車の
  研究開発に従事
2005年:CBR600RRレース車の開発担当(PC37)
2006年:CBR600RRレース車の開発担当(PC40)
2007年
  レース車両専門の開発部署【MSD】に転属。
  ワークス車両CBR1000RRWの操縦安定性、空力
  性能の研究、開発を担当。
2008年:開発マシンで鈴鹿8耐優勝。(チェカ、清成)
2009年
  リーマンショックにてSBK開発チームが解散
  Moto-GPマシン開発グループへ移動。
  縦安定性に加え、ブレーム、Sアーム等の耐久性
  強度の研究開発を担当。
2011年:C.ストーナー選手がワールド
  チャンピオンを獲得。
2012年:4月HRCを退社
2012年:4月バイクセブン名古屋店へ入社
2013年:カスタムパーツ担当の責任者となる。
2014年:2月バイクセブンを退社
2014年:3月アメリカ大陸を3週間掛けて横断成功。
2015年
  5月アメリカツーリング2回目。ラスベガス、
  グランドキャニオン、セドナ等
2017年:5月アメリカツーリング3回目
ヨセミテ、西海岸絶景

レース戦歴

 
・2004年:茂木選手権ST250クラスNSR250(MC21)
  でレースビュー
・2005年:茂木選手権ST250クラス ランキング9位
・2006年:茂木選手権ST600クラス ランキング17位
・2007年:茂木選手権ST600クラス ランキング14位
・2008年
  茂木選手権ST600 ランキング9位
  菅生選手権ST600 ランキング2位 ※国際昇格
・2009年
  東日本エリア選手権Rd.2菅生JSBクラス優勝
  全日本 鈴鹿300km 19位 ※ペア山中選手
  鈴鹿8時間耐久ロードレース DNF
  全日本選手権Rd.6茂木JSBクラス18位
・2010年
  東日本エリア選手権Rd.1筑波JSBクラス8位
  東日本エリア選手権Rd.2茂木JSBクラス15位
  東日本エリア選手権Rd.3菅生JSBクラス優勝
  鈴鹿8耐 20位 ※ペア野寄選手、荘選手
・2011年:鈴鹿8耐 19位 ※ペア山中選手
・2012年
  全日本選手権Rd.2鈴鹿JSBクラス26位
  鈴鹿8耐 32位 ※ペア西山選手
・2014年:鈴鹿8耐 20位 ※ペア山中選手、小原選手
・2015年:鈴鹿8耐 DNF ※ペア山中選手、中山選手
・2016年:鈴鹿8耐 DNF ※ペア山中選手、中山選手
・2017年:鈴鹿サンデーRd.2 8耐トライアウト16位
・2017年:鈴鹿8耐 29位 ※ペア山中選手、中山選手

保有資格

 
・二級二輪自動車整備士
・二級ガソリン自動車整備士
・二級ディーゼル自動車整備士
・ロードレース国際ライセンス
・損害保険募集人 基礎単位
・アーク溶接技能講習終了
・ガス溶接技能講習終了
・4級アマチュア無線技士
・危険物取扱者乙種第四類

愛車歴

 
1998〜現在:YAMAHA XJR400所有
2002〜2005年:HONDA NSR250 MC21キャビン所有
2004〜2006年:HONDA NSR250レース車両所有
2006〜2007年:HONDA CBR600RR(PC37)レース参戦
2007〜2007年:HONDA CBR600RR(PC40)レース参戦
2008〜現在:CBR1000RR レース車両所有
2009〜現在:KAWASAKI ZRX1200R所有
2013〜現在:HONDA CBR1000RR(SC59後期)所有
トランスポーター:CADILLAC ESCALADE EXT

ANDYの歴史 *長文でオモシロイので時間に注意!!

2000年 人生を変えた一冊の本と出会う

Andyの人生を大きく変える事になる1冊の本と出会いました。

それは辻 司さんの著書「NSR500 ハイパー2スト・エンジンの探求」と言うグランプリ出版の技術書です。

当時、愛知県の矢作ダムを峠小僧としてYMAHAのXJR400で走っていました。 しかしNSR50と言うバイクに全く勝てないのです。エンジンの掛け方しか知らなかった自分は、「勝てないのはエンジンパワーなんじゃないの?」とヒラめいたのです!!(そもそもココが大きな間違い) それからと言うもの、月間オートバイ、ヤングマシンなどの記事を見ては速く走る為にエンジンパワーを求めました。パワーフィルターがイイらしい!! と書いてあればレーシングワールド名古屋へ行って購入。 → ボコついて全く走らなくなる → メインジェットを変える事をスタッフから教わる → メインジェットを何種類も買わされる。 → 結果30番くらい上がったのかな?ガソリン沢山出してるからきっとパワーの上がったと勘違い → 矢作ダムで撃沈。

このサイクルをずっと繰り返す内に、「全然勝てん!! 何か間違ってるんじゃないの??」と考える様になります。 雑誌の発売を心待ちにしているのですが、毎号エンジンの事を記事にしてくれる訳でもなく、何か参考になるモノは無いか?とロフト名古屋にあった「紀伊国屋書店」へ出かけました。

そこの原付免許取得コーナーの隣に、なにやら”エンジン”と書いた背表紙がたくさん見えました。 何となく手に取るのですが技術用語や部品名称すらしらない高校2年生が理解できるハズもありませんでした。(当時は2スト、4ストの違いも知らない) 参考になるような本はなくなんとなく眺めていると、ある本の「500ccで180馬力を超える。」の文字が目に留まりました。

ん?? 俺のXJRは400CCで53馬力(自分的にはパワフィル入れて70馬力になったと思っていたww)、ここには500CCで180馬力とある。?? たった100CCしか違わないのに180馬力とかこいるウソを書いてるだろ!!  と本気でそう思いました。

クランクピン、チャンバー、2ストローク、などなど当時の自分にはまーーーーーったく理解できませんでしたが、本の最後の方にレース用エンジンで一般公道は走れないとあり、そこで初めてレース専用のエンジンてのがあるんだ~。へぇ~~。 と思いました。何となく気になったのでなけなしのバイト代をはたいて購入します。

家ではバイトとバイクが忙しすぎて読む時間がないので、決まって漫画と本は学校の授業中に読破します。(休み時間はプロレスで忙しい)やっぱり意味が分からなさ過ぎましたが、そのレース用エンジンは「HRC」と言う会社が作っている事を新たに知りました。 高校2年生の時で進路をどうするか考えている時期と重なった事もあり、「よし!なんか面白そうだしHRCで働こう!」と軽いノリで決まりました。

本のお陰で「HRCで働く」と言う目標ができ、あとは何をどうするか?です。 全く想像もつかないので取り敢えず担任の先生に相談すると、「HONDAがやってる整備士の学校があるからそこから整備士として行く事ができるんじゃないか??」とのナイス回答をもらったAndyはホンダ学園の体験入学へ行ってみる事に。

エンジンを分解したり、トルクレンチを使ってホイールナットを締付たりと面白い事を経験させてもらった後、ホンダ学園の先生に「HRCに行けますか?」とストレートに質問しました。

先生は「間違いなく行ける保障はありません。でも君の行きたい気持ちがホンモノならこの学校に可能性はある。そのチャンスを掴むかどうか君次第だね。成績もTOP10に入らなければチャンスも掴めない。」と言われました。

そうか、この学校入ってTOP10に入ればチャンスはあるのか。。。大学に行けるような頭は無いし、俺がHRCに行くならココしかない!! と思ってその先生に「分かりました。僕、HRCに行くんで入学します!!」と他人に初めて宣言したのがミレニアムに沸いた2000年でした。

 

2001年

大阪のUSJが開園した年でしたね。確か火薬の使用量が多かった事と飲み水にイケない物質が出ちゃったとかでお客さんが全然いなくてガラガラな中を初めて行ったのを覚えています。

ホンダ学園関西校へ入学

この年名古屋の大同工業大学付属高校、普通課程をなんとか卒業し大阪での学生生活がスタートしました。 名古屋より西へは京都&奈良までしか行った事がなく、初めて大阪の地へ降り立った時にドキがムネムネしたのを今でも覚えています。

この学校へ通う目的は2つ

  • ・HRCで通用する整備技術と自動車工学の基礎を習得する事 →要件:学年順位10位以内
  • ・本田技術研究所から内定をもらう事。 →要件:内定通知を得る

HRCへ入社する為にはこの要件が必要でした。 やはり基本はディーラーの整備士を養成する為の学校ですから自動車の基礎を学ぶ学校です。その基礎をきちんと習得したかどうか?のレベルを知る方法として成績があるわけで、やはり世界グランプリの現場を目指す人間が基礎もできていないのでは話になりません。  学生だった当時の自分も同じ考えを持っていました。  「世界グランプリの舞台に立つには、今の国内戦(学校内)の戦いで負ける訳にはいかない。」なんとなく そう感じさせるモノがありました。

学校の成績はテストはもちろん、普段の生活態度まで採点に入ります。 実習テストは100点満点で、内5点は身だしなみです。 なので実技で満点を取っても髪の毛が茶色の時点で−2点になってしまい98点となります。

推薦を貰おうと考えた時には、もし点数が同じなら、「クラス委員長」を行なっていた方が一文追加できますよね。  なので"やれる事は全てやる"と決めていたので、入学して直ぐのオリエンテーションで、いの一番で手を挙げ立候補しました。 結果、書類に2年間クラスインを務め、積極性をアピールする事につながりました。

 

Widerホンダ学園D.D.Boysで8耐プロジェクトへ加入

入学したこの年ホンダ学園と、豊中に拠点を持つプロレーシングチーム「D.D.Boysレーシング」がタッグを組み8耐へ参戦する計画がスタート。1年生メンバーとしてこのプロジェクトに参加しました。 まだ勉強中の学生がレーサーの命を預かる事になります。ビッグレースへの参戦プロジェクトと言う事もあり応募が殺到。 実際に現場へ入るメンバーは「成績+ヤル気」の2つが揃った者だけ。 ミーハー根性だけで入部した者は月日が経つにつれて居なくなっていきました。

母体は二輪整備同好会のメンバー。8耐プロジェクト以外にも、D.D.Boysが参戦している全日本ロードレースなどのお手伝い(邪魔してるばっかり)をさせて頂きました。

 

2002年

ウィダーホンダ学園D.D.Boys8耐決勝7位!!

いよいよ8耐参戦プロジェクト2年目、メインメンバーとして参加します。(1年生は見習い)ライダーは出口修選手と、野田弘樹選手。まさかネジ1本バラバラのところからエンジンと車体を組んで行くとは思いませんでした。 当時はスーパーバイクのレギュレーションで、HRCから届くエンジンキットパーツを開梱し納品伝票と数量が合っているかチェックするところから始まり、エンジン組立、車体組み立て、エンジンならし、鈴鹿テスト走行、予選、決勝と全てを経験する事ができました。

はっきり言って準備中はつらい事だらけでした。実力も無く何ができる訳でもないのですが、スキルが低い自分に任せてくれた事は自分の成長につながりましたし、今でも感謝しています。 また、レースウィークではフリー、予選、決勝とライダーが転倒なくノントラブルで安定して走ってくれた事も大きな要因です。 ライダーの頑張りのお陰で総合7位と言う最高な結果を残す事ができました。

 

就職先が株式会社本田技術研究所に決定!!

実は卒業する2年後、新たに”1級自動車整備士”と言う資格が新たに新設される事が国交省から発表がありました。1級整備士を最短で取得するには整備専門学校に4年間通う必要があります。ホンダ学園としても新たな整備士資格に対応する為に更に2年間通う上級課程の「経営研究科」が新設されました。

将来的にはHONDAを辞めて自分の店を持ちたい!! と思っていて、「経営研究科」を受験し合格通知をもらい、進学するつもりでした。

ところがどっこい!! なんと突然「朝霞研究所」からの直接採用枠が新たに新設されたんです。 HRCに入るには新卒採用がないので、本田技術研究所(開発現場)又は本田技研工業(生産現場)から「転属」する以外に方法がありません。

しかし、研究所または工場に採用されても配属先がどこになるかは分かりません。二輪の開発拠点である朝霞研究所を希望しても四輪開発を担う栃木研究所になる事も多々あります。その逆またしかり。

しかし初めて「朝霞研究所採用」と言う枠が設けられ、その入社試験をパスしたら”朝霞研究所に配属が決定”する訳です。 これは千載一遇のチャンス!!!  HRCを出た後も大事だけど、そもそもWGPを仕事にするなら、HRCと同じ敷地内にある朝霞研究所でバイクの開発に携わる事以上に有利な条件はありません。

仮にホンダ学園を4年在席し、本田技研工業採用試験に合格しても栃木研究所に採用されてしまったらクルマの仕事になる訳です。 そこでキャリアを積むより、バイクの研究キャリアを積んだ方がHRCに行った時、即戦力になる事は明白です。

この試験は俺の為に新設してくれたんだ!!  と思う事にして受験を即決。

①校内成績審査 → ②学力試験 → ③学内面接 → ④学内二次面接(朝霞研究所員も居る) → ⑤本田技術研究所採用本試験 と試験ダラケでしたが、2名の採用枠に入る事ができました!! (=^・^=)

入社した後に分かった事ですが、④の学内二次面接試験の時、教頭先生と朝霞研究所から後の上司となる部長の2名と面接しました。 その時の質問に「給料は高卒扱いとなるが良いか?」と聞かれました。

Andyは「月5万円もらえれば文句はありません」と答えました。

部長 「なぜ5万円でいいんだね?」
Andy「家賃2.5万円、食費に1万、ガソリンに1万、ケータイに0.5万だからです。 仕事でバイクに携われるならそれだけで十分です。ところで高卒ってお給料いくら貰えるんですか?」
部長 「大体18マソ」
Andy「それは多すぎです。」
部長 「オマエはアホか!!笑」

こんな会話をしていました。 配属されたた後、自分の部署のトップがホンダ学園で面接官をして下さった部長だったんですよ。 とある会社の飲み会の席で「あの面接の事は良く覚えている。5万円と言ったオマエの言葉はウソには聞こえず、コイツホントにバイク好き過ぎるバカだなと本気で感じたんだよw」と言われました!笑

褒められてるのか?けなされてるのか? どちらか分かりませんでしたが、Andyのバイクを想う熱意を伝えられた事だけは確かです。

そしてこれも入社してから分かった事ですが、教頭先生と面接官の部長は朝霞研究所で同じ部署で働いていた者同士で、教頭先生もAndyを推してくれたようです。 クラス委員になった事、8耐プロジェクトに熱意をもって参加していた事で教頭先生と一緒になる時間が多かった事も良い結果を引き寄せる大きな要因となっていました。

やはり何事も行動した者勝ちだなと今でも思います。

 

2003年

株式会社本田技術研究所 朝霞研究所へ入社

少しづつ暖かくなった3月下旬に和光ミーティングセンター(レインボーモータースクールの近く)へ泊りり込みの1週間の入社前研修を受けます。 朝8時~21時までみっちりのカリキュラムで、北は北海道、南は鹿児島から集まった同期と初顔合わせし、親睦を深めながら社会人の基礎とHONDAについて学びます。

Andyの場合、ホンダ学園でHONDAについて多少学んでいたのですんなり入ってきました。

今も好きなホンダ哲学「常に夢と若さを保つこと」はAndyの人生の原点でもあります。 WGPでチャンピオンマシンを創る!! 事こそが朝霞研究所に入社する原動力でもあるので、今でも大好き♪♪

二十歳で入社した時には何とも思いませんが、敢えて言わないといけない理由が今はわかる気がします。自分の周りにも若い時には目を輝かせて乗っていたバイクにも乗らなくなり違う道に進む者、当時と変わらぬ情熱を持ち続ける者、家族のカタチが変わり愛する人の為に全てを捧げる者、本当に十人十色です。 対象はバイクでなくてもイイと思います。がほとんどの人間は心が老いていってしまいます。 「もう若くないから」と発する人ほど、身体も老いていますね。 2014年アメリカ横断ツーリングで一緒だった60代後半の方々は、実年齢以外はすべて30代でした。 考え方ややる事なす事すべてが若いんですよ。しかもエネルギッシュ。 そんじょそこらのテンション低い20代よりも元気ビンビンです。

そんなところも本田宗一郎は見抜いていたのかもしれません。自称「バイク大好き宇宙一」なAndyは全く老いをかんじませんねぇ~♪♪ !(^^)!

 

完成車の走行テスト・評価ブロックに配属決定

朝霞研究所には約2500人が働いており、総務や秘書課や社内ITインフラ担当から専門職のエンジン、車体、電気、デザイン、先端研究など様々なブロックに分かれていて巨大な組織です。

その中で走れる状態に仕上がったバイクでの性能試験、評価を行う部署に配属されました。 仕事として開発中のバイクをテストコースで走らせます。 時には静的な試験で試験設備を使用したりします。

 

配属先の昼礼で想いを叫ぶ!!

配属された部署は約230人程の組織です。その中で名前を憶えてもらわなければ、HRCに行く事もどんどん先になってしまいます。 月曜は250人が一同に集まる日で人事異動があると昼礼にて挨拶します。  同期は渡されたマイクを使ってありきたりな「ご迷惑をお掛けすると思いますが宜しくお願いします。」的なツマらん話をしていました。  これじゃ誰も名前を憶えてくれないな・・・と思ったAndyは・・・

マイクのスイッチを切り、ありったけの大声で叫びます。

「ホンダ学園から参りました~!!  〇〇と言いまーーす!!」

「好きな芸能人はーーー!! 松嶋奈々子ぉーーーッス!!」 (←ウケると思ったらダダスベリ・・・)

「当面の目標はーーー!! 昨年入社した1こ先輩の〇木さんでーーーす!!」(←大爆笑される! なんで??)

「バイクが好きな気持ちは皆さんにも負けません!!  オナシァャッアアアッスーーー!!」

と全力で叫んできました。

後で知りましたが、ホンダ学園の時の1個上の〇木パイセンは、Andyが昼礼で挨拶する前の週にテストコースで転倒&骨折しており悪名を馳せていた後のタイミングで、「アイツは学校のパイセンに習って自らコケに行くバカなやつがまた現れた!!笑&笑」って事だったようです。  ちょっとくらい和むかな? と思った松嶋奈々子の下りは見事にスベりまくったのでなぜウケたのかわからず??? な状態でしたw

完成車テストグループ内も更に細かく専門分野に分かれていて、各々のグループがどんな仕事を担当しているのかを知る事と、名前を売る事の2つを目的として2か月の研修期間があります。 私の場合、全体昼礼で色んな意味で目立つ事ができ研修に訪れた時には名前を憶えてもらっていました。

失敗を恐れずチャレンジして良かったです。笑

 

研修期間を終え、ATVの機種開発グループへ配属される

ATV?? 一体なんなの?? All-Terrain Vehicleの略で、簡単に言うとバギーです。 課長から配属先を聞かされた時には耳を疑いました。

心の中「は? コイツ何言ってんの? 俺がどんだけバイク命か全然分かってねーんだな・・・。どうすっかな・・」

そんな事をもんもんと考えていました。

心の中「よし、やっぱり気持ちを伝えにゃいかん!! 俺のレースやWGPに賭ける想いをありったけブチまけてやる!!きっと分かってくれだろう!!」

Andy 「あのぉ~、、、ハッキリ申し上げますがATVはやりたくありません。将来HRCに行きたいのでそれに繋がるキャリアを得る為にもバイクを担当しているグループがいいです! おなしゃす!」

課長 「ハァ!? フザケルナよ!! オマエ何言ってんだ? この会社はオマエのやりたい事を叶える為にあるんじゃねーーんだよ! オマエが何をやりたいかなんて知ったこっちゃねぇ~んだ! 高品質のモビリティを社会に提供して人々に貢献する集団なんだよ!! その使命も分からんようなオマエのワガママなんて聞く訳ねーだろ!! レースやりたけりゃレースチームに入れ!! なんでHONDAがレースやるのか考えろ!! 」

Andy 「チーーーーン。。。  すみませんでした。。。  しょぼーーーん。。。」

初っ端の出端をボッキボキに折られてしまいました。

 

所内インストラクター養成チームに入塾を希望する

本田技術研究所に入社すると、入社1~3年目の新人がNHサークル活動を行います。 世間で言うところのQCサークルと全く一緒です。 課題を見つけ、解決する手法やプロジェクト推進の方法、新人同士の親睦を深めながら上司や先輩のアドバイスを仰ぐアレです。

テスト走行を行う部署は、テスト走行中の転倒は怪我をした場合労災になるので絶対転倒してはなりません。(立ちごけもNG)運転免許とは別に社内ライセンス制度があり、走行速度やテスト内容などライセンスランクによって細かく分けられています。

やはり新人は技量が足らないので社内インストラクターから運転のイロハを学びます。早朝のテストコースで毎日1時間半の乗車訓練を受けます。

希望者は3全員が受ける3ヶ月の訓練とは別に所内インストラクターになる為の上級訓練を3年間受ける事ができます。
この上級訓練は毎日行われ、毎土曜日も8時間乗り倒します。 なのでこの上級訓練生になるとNHサークルを免除されるんですよ。

自分としては是が非でもNHサークルは阻止して上級訓練生になりたーーーい!! と思っていましたが・・・

課長 「Andyくん、HNサークルに決まったよ。オメデトウ。」

Andy 「・・・ そんなぁ~・・・。」

・・・30分後

Andy 「もう一回ど叱られてもいいや! 直談判してみよう!」

Andy 「〇〇課長!上級訓練がしたいです!! 自分が訓練生になったら世界チャンピオン獲ります!! そしてその技術を伝承するのでやらせてください!!」

課長 「よし。それなら掛け合ってみよう。」

と言う事で無事? NHサークルではなく、インストラクター上級訓練生になる事ができました♪♪

社会組織を経験した今だからこそ分かるようになりましたが、自分の希望を二つ返事でOKだす訳がないんですよね。 上司も自分の部署内で人材が足らないからこれだけの人員が必要だ! と上にプレゼンしてる訳ですよ。

もちろんその中には人材育成のプランや予算も組み込まれてる。 どんな新人でもやっとの思いで引っぱってくるんです。その組織がデカければデカイほどに「人下さい!」と言っても取り合いなんですね。

そんな新人を新人の希望で「あ、新人がこっちやりたいって言ってたんで担当(計画)変えました!」なんて事が通用するハズ無いんですよw。 でも新人の頃は分からなかったし、知らなかった!笑

きっと課長の〇橋さんも既に活動メンバーが決まっていたので、サークル活動責任者の元へ行きAndyの為に頭を下げてくれたはずです。(当時の自分はその事を知らない) そう言う意味でもいい上司に恵まれていた事に、後に気付きました。

 

 

*現在加筆中・・・ 気が向いた時に更新☆

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